とんでんで「旨いわし」を食べたとき、なんか「モヤっとした」ことはありませんか? ネット上でも「とんでんの旨いわしをまずく感じた」という声が、ごく僅かですがあるようです。
私も今回とんでんで「旨いわし」を食べてみて、美味しいのに不思議な「モヤッ」が残ったのは事実。
この記事は、味は悪くないのにどうしてスッキリ満足できなかったのか、その「言語化できない違和感」の正体を考えてみます。
味は美味しいのに「なぜかモヤる」。その理由と、誰に食べて欲しい「旨いわし」なのかが分かれば、次回のとんでんは満足できるハズです。
見た目は豪華なのにどこかモヤっとする

とんでんの「旨いわし刺身膳」、見た目だけで言えばかなり豪華です。山のように盛られた旨いわしの刺身に、天ぷらの盛り合わせ、茶碗蒸しに小鉢まで付いています。
華やかだし、女性や年配の方なら量も多いくらいでしょう。ただ正直、ガッツリいきたい男にはちょっと物足りない。全てが丁寧なんですが、全体的に「綺麗にまとまってる感じ」がインパクトに欠ける。
器や盛り付けは美しくて、たしかに気分は上がります。でもそれが満腹感につながるかというと、そうでもない。
見た目の満足と食後の「食ったぁ〜感」には多少なりともズレがあり、なんとなく「モヤッ」が残ります。
もちろん、とんでんにガッツリ飯を求める方がおかしいのですが、「しっかり食べたい」自分には、ちょっと噛み合わなかったんだと思います。
いわしの味はしっかり美味しくて満足

旨いわしの味に関して言えば、正直かなり良かったと思います。脂ものっていて、口の中で脂の甘みがふわっと広がる感じ。
青魚特有の生臭さもなく「新鮮ないわしを使っている」とすぐに分かる仕上がりでした。小骨は多少ありますが、それも「いわしの刺身」として自然な範囲。
「うん、これ美味しい」と思えるクオリティでした。でも…、です。満足しきれなかった理由は、たぶん味の問題でもお店の問題でもありません。
そもそも「どのメニューにしようか散々悩んだけど、結局決めきれずこれにした」という「妥協の気持ち」が残っているから、いくら美味しくても「モヤッ」が残る。
「マグロはもっと美味しいのにな…」って、別の魚と比べてしまう。つまりこれは「旨いわし」の問題ではなく、自分自身の「心の問題」なんだと思います。
それでもなぜか満足しきれなかった理由


ではなぜ「散々悩んだ挙句に妥協したのか?」が、この問題の本質です。もちろん中には「いわしの刺身が口に合わなかった」という人もいるかもしれません。
でも私のようにガッツリ食べたい男にとって、とんでんはファミレスより価格は高めで、ビジュアル的なカロリーは少なめ。メニューは2,000円前後のものが多く、しかも全部美味しそう。
揚げ物ガッツリ系のメニューもありますが、店の雰囲気に飲まれて「口は完全に和食モード」になっている。
そして地味にやっかいなのが、とんでんは親族との食事や法事など、ちょっとかしこまった場面で来ることが多いという点。同席者に気を遣いながらページをめくり続け…、迷いに迷う。
そして迷い疲れたタイミングで目に入る、無難な選択肢が「旨いわし」だったんです。
この御膳が合うのは女性と年配層かも


ちなみに我が家では、「長旅の後はとんでんで夕食をとる」という謎の風習があります。理由は、疲れた胃腸にとんでんの和食が丁度いいから。また美味しい味噌汁でほっとしたい、という思いもあります。
この日も私は九州への旅を終えて東京に戻ったばかりで、とんでんで何を食べるか悩んでいました。ただ長旅の疲れもあって、正直あまり食欲がない。
そして散々迷った末に、一番さっぱり食べられそうな「旨いわし刺身膳」を選びました。でも食べ始めると、その美味しさにすぐ食欲が回復。
そこで「やっぱり他のメニューでもよかったかな…」という「あの後悔」が始まります。つまり普段ガッツリいくタイプの人が「旨いわし」を選ぶ時点で、そもそも「疲れてる」説があるわけです。
そして何より、自分でも「一番さっぱり食べられそう」と感じた通り、この「旨いわし刺身膳」は特に女性や年配の方にぴったりなメニューなんだと思います。


「誰に向けたメニューか」が噛み合っているかどうかで、満足度は大きく変わる。そういうズレが、この御膳の評価を分けているのかもしれません。
私はやっぱり、次回からはお気に入りの「北海海鮮丼のご飯大盛り(別料金)」に戻そうと思います。
※本記事執筆時点では「旨いわし刺身膳」はグランドメニューに掲載されていませんが、同様の「旨いわし」を使った和定食をイメージしてお読みください。


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