山賊焼きって、見た目は完全に唐揚げ。でも「焼き」ってついてるし、ザンギや竜田揚げとも似てるようで違う…なんかややこしいですよね。
この記事では「そもそも山賊焼きってなに?」という素朴な疑問からスタートして、唐揚げや竜田揚げとの違いをスッキリ整理していきます。
さらに、なぜ揚げ物なのに「焼き」なのか、信州で名物化した理由まで一気に解説。なんとなくモヤモヤしてた「揚げ鶏の境界線」が、一気にハッキリします。
山賊焼きが気になっていた方、食べたことはあるけどよく知らない方にも、きっと楽しんで読んでもらえるはずです。
名前の由来:「山賊焼き」の正体を探る
信州・山賊焼きとはどんな料理なのか

信州の山賊焼きは、長野県の塩尻市や松本市で生まれた鶏料理。むね肉またモモ肉を一枚そのまま使い、にんにくと玉ねぎを混ぜた醤油ダレに漬け込んでから、油で揚げて仕上げます。
衣は片栗粉を薄くまぶすだけ。外はカリッと香ばしく、中はふっくらジューシー。もともとは塩尻市の飲食店「山賊」で出されたのが始まりとされ(諸説あります)、今では信州を代表する味になりました。
観光客向けの名物かと思いきや、実は家庭の食卓でもド定番。スーパーのお惣菜コーナーでも普通に並んでいます。食べるときには、キャベツなどの野菜が添えるのが流儀。
つまり観光客にとっては「そばの次に食べたい信州名物」、地元の人にとっては「いつもの晩ごはん」。特別なごちそうというより、どこか安心できる信州の味として定着しています。
揚げているのになぜ「焼き」なのか?

山賊焼きは、名前に「焼き」とつくのに実際は「油で揚げる」料理です。この不思議な名前は、もともと「揚げ焼き」という調理法が使われていたからとされています。
昭和の初め頃、当時はまだ油が高価でした。そんなとき、鶏肉を少ない油でこんがり焼くように揚げていたんだとか。
これは現代では一般的な「油をたっぷり使う揚げ物」よりも手軽で、香ばしく仕上がるのが特徴です。
そのため見た目が「焼いたように見える」ことから、「山賊焼き」と呼ばれるようになったと伝わっています。今では「普通に油で揚げる」お店が殆どですが、「焼き」という名前がそのまま残ったんだとか。
もしかしたら油の量も毎日少しずつ増えていって、ある日鶏肉が油に浮いて「揚げ」の状態になったことに、誰も気付かなかったのかもしれません。
そもそも「山賊」ってどんな人たち?

山賊焼きという名前を聞くと、「ところで、その辺に山賊って本当にいたの?」なんて気になる人もいるかもしれません。実際のところ、長野県の塩尻市や松本市に山賊がいたという記録は残っていません。
ただ信州は山が深く、古くから旅人や商人が行き交う交通の要衝。峠道を越える人々の間で、もしかしたら道中で世話を焼くような「心優しい山賊」がいたかもしれません。
そう思うと、この料理の名前にもどこか温かさを感じます。豪快に揚げた鶏をみんなで分け合って食べる姿も、なんとなく山賊のイメージにぴったり。
実際のところはわかりませんが、山深い信州の風景には、焚き火を囲んで鳥肉を頬ばる山賊の姿がよく似合う気がする。そんな想像が、「信州の山賊焼」にロマンを添えています。
鳥を焼かずに揚げるようになった理由
山賊焼きが生まれた昭和30年代の日本

山賊焼きが登場したのは昭和30年代ごろ。戦後の暮らしが少しずつ落ち着き、外食や惣菜が徐々に広まり始めたタイミングです。
それまで鶏は「卵を産むための家畜」という位置づけが一般的で、肉として食べる機会はあまり多くありませんでした。そこへ登場したのが、食肉用に育てられたブロイラー。
安価で流通量も多く、家庭の食卓にも鶏肉が浸透していきます。ただ、分厚い鶏肉をそのまま焼くのは火の通し方が難しく、調理に技術が必要でした。
そこで誰でも簡単に仕上げられる「揚げる」という方法が広まり、信州ではにんにく醤油ダレと組み合わせた「豪快なスタイル」が定着しました。
塩尻市の居酒屋「山賊」で生まれた(諸説あります)この料理が、やがて「山賊焼き」として地域に定着していったわけです。
鶏と油が広まったコロッケ時代の食卓

戦後の日本では、揚げ物を家庭で作る文化が徐々に広まっていきました。
それは、サラダ油やショートニングといった食用油が安定して流通するようになり、フライパンでの揚げ物調理が一般的になってきたからです。
コロッケやメンチカツといった惣菜は戦前からありましたが、この時期に「日常の定番メニュー」として定着したと言われています。
鶏肉も同じく、食肉用のブロイラーが普及したことで手頃な価格になり、庶民の食卓に登場する機会が一気に増えました。
そんな頃、信州ではにんにく醤油で味付けした鶏肉を丸ごと一枚揚げるという「山賊焼き」が登場します。
コロッケやメンチカツが商店街で華々しく活躍する時代に、信州では「でかい鶏の唐揚げ」が静かなブームを起こし始めていました。
酒場の「焼き鳥」と揚げの「山賊」

山賊焼きが誕生した頃、日本ではまだ油が高価な時代。普通に考えれば、鶏肉は揚げるよりも「焼く」ほうが手軽で現実的です。
それでも信州では、にんにく醤油で味つけた鶏肉を「揚げる」という選択をしました。その理由を考えてみると、大きな一枚肉を焼こうとすると火の通りが悪く、提供に時間がかかってしまうから。
また焼き鳥のように小さく切れば手軽ですが、それでは白いご飯に合う「おかずの迫力」が出ないから、など。
だからこそ、豪快に一枚肉を揚げて仕上げるという方法が定着したのではないかと考えられます。もしこの時に「焼く」を選んでいたら、焼き鳥の「デカい版」として埋もれていたかもしれない。
「揚げる」を選んだことは、山賊焼きが「信州独自の鶏料理」として確立した、大きな分岐点だったと言えます。
似ているようでやっぱり同じだった仲間たち
唐揚げ・ザンギ・竜田揚げとの違い










さて、揚げた鶏肉といっても、呼び方やスタイルはさまざまです。まず「竜田揚げ」は、片栗粉だけをまぶして揚げるシンプルなタイプで、衣が薄くて上品な仕上がりが特徴。
「唐揚げ」はもっと自由度が高く、小麦粉や片栗粉の使い分けや、にんにく・しょうがなどを使った味付けの幅も広め。
じゃあ「ザンギ」は?というと、これは北海道での呼び方で、実は唐揚げとほとんど同じ。ただ下味をしっかりつけるスタイルが主流で、味がやや濃いめの印象があります。
じゃあ「唐揚げ・ザンギ・竜田揚げ」と山賊焼き」の違いは何なのか?ですが…、異論反論はあるでしょうが、ザックリ言うと「デカさ」だけ。
もう、ファミチキもケンタも全部ぜ〜んぶ鶏肉を揚げた料理で、違いはデカさと、誰が作ったかだけです。
山賊焼きの決め手は一枚肉とにんにく醤油

山賊焼きの一番の特徴は、鶏肉を一枚そのまま使っている点です。よくある唐揚げのようにカットされていないため、食べごたえがしっかりあります。
さらに下味として使われるのが、にんにく醤油。このタレが鶏の旨みと相性抜群で、焼いたときに香ばしさを引き立て、揚げたときにはしっかり味が染みてくれます。
しかもこのにんにく醤油ダレは、冷めてもおいしさが持続するのがポイント。お弁当や惣菜でも人気がある理由はここにあります。衣は比較的薄めで、肉そのもののジューシーさを感じられる仕上がり。
厚みのある一枚肉にしっかり味が入っていて、外はカリッと、中はふっくら。この「豪快さと繊細さのバランス」が、山賊焼きをただの揚げ物で終わらせない理由です。
なぜ信州名物として愛され続けたのか


長野県はもともと海のない内陸県で、戦前まではタンパク源が限られていました。
そんな中、戦後に鶏肉と油が普及すると、長野県では山賊焼きのような「肉のおかず」がごちそうとして重宝されるようになります。
塩尻市や松本市では定食屋やスーパーの惣菜としても定番化し、家庭にも浸透しました。観光客の立場としても、昼に蕎麦を食べたあと、夜はがっつり山賊焼きで締める ─ この組み合わせがちょうどいい。
さらに「山の国で山賊焼き」という言葉の響きが旅のテンションともマッチしやすく、満足感を高めてくれます。
今では「から好し」のような唐揚げチェーンでも提供されていて、県外でも食べられる身近な存在になっています。山賊焼きは旅先でも日常でもしっくりくる、信州らしさの詰まったローカルグルメです。


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