街中華に入ってメニューを見たとき、なぜか当たり前のようにオムライスが載っている ― そんな光景に疑問を持ったことはありませんか?
中華料理店なのに、なぜ洋食の代表格であるオムライスがあるのか。しかも全国どこへ行っても、まるで定番のように存在しているのはなぜなのか。
本記事では、そんな素朴な疑問の裏にある食文化の歴史と厨房のリアルに迫っていきます。
読み終えたときには、街中華の正体とオムライスの意外なつながりが一本の線で理解できるかも。なぜそれが「当たり前」になったのか、理由がはっきり見えてくるはずです。
街中華にはなぜオムライスががあるのか?

中華料理を食べに来たつもりだったのに、メニューにオムライスが載っている。しかも「どの街中華でも」当たり前のように。これ、不思議だと思った人は多いはず。
中華料理屋ならチャーハンやギョーザが並ぶのはわかるけど、なぜ洋食の代表であるオムライスが混ざっているのか。その違和感は、「街中華」という業態をどう捉えるかによって見え方が変わってきます。
というのも、街中華はもともと「中華料理専門店」ではなく、戦後の日本で広がった「何でも出す街の大衆食堂」の一形態だから。
味もメニューも地域に合わせて柔軟に対応し、客のニーズを第一に組み立ててきた。だからこそ、「洋食の代表格であるはずのオムライス」が違和感なくメニューに並んでいるわけです。
見た目は中華だけど、中身はすごく自由で雑多。それが街中華という存在なんです。
オムライスが街中華で作りやすいワケ

オムライスが街中華で生き残ってきたのは、「作りやすさ」という圧倒的な利点があるからです。
まず材料ですが、米・卵・玉ねぎ・鶏肉・ケチャップ ─ これらはすべて街中華の厨房には普通に常備されている定番食材。
中華鍋ひとつで炒め物から卵とじまでこなす街中華にとって、チキンライスの炒めと卵包みは日常的な調理動作そのもの。特別な道具も手間もいらず、注文が入ってからでもスピーディに提供できる。
しかも原価が低いわりにボリュームも満足感もあって、客ウケもいい。特に子ども連れや常連客の注文で重宝されやすく、「迷ったらこれ」の定番メニューとして定着してきたわけです。
天津飯と並ぶ「卵のせ系ごはん」として、追加コストゼロでメニューを一品追加できて扱いやすい ─ それが、街中華にオムライスが根を下ろした大きな理由なんです。
ケチャップが街中華に入り込んだ経緯

さて、ケチャップといえば洋食のイメージがありますが、実は街中華でも「万能調味料」として重宝されてきました。そのきっかけを作ったのが、日本の食品メーカー・カゴメです。(カゴメHP)
1908年に日本初の国産トマトケチャップを開発し、ご飯に合うよう甘めに調整されたことで、一気に喫茶店や洋食屋、デパート食堂に広がっていきました。
当時の外食業界は中華・洋食・和食のジャンル分けがゆるく、どの料理にも自然に浸透していったようです。特に街中華では、エビチリや酢豚の味付けにケチャップが取り入れられていきました。
さらに天津飯の「赤いあん」に使う店が出てくるなど、枠にとらわれない調味料として進化。
結果として、ケチャップ味は街中華の中に違和感なく溶け込み、オムライスをはじめとした洋食系メニューにも伝播していったわけです。
街中華が「中華料理」ではないという真実

街中華は「中華料理のお店」というより、戦後の日本で独自に育った「なんでも作る街の食堂」に近い存在です。
本格中華の技法を軸にしつつ、地域の暮らしに合わせてメニューを自由に広げてきた結果、オムライスやカレーのような洋食まで自然に並ぶようになりました。
もともと戦前は、この「なんでも屋」の立ち位置は蕎麦屋などが担っていたようです。
しかし戦後になると、小麦が手に入りやすかったことからラーメンを中心とした業態に切り替える店が増え、その流れの中で街中華へと姿を変えていきます。
昔ながらの中華そばにナルトが乗っているのはその名残で、本来は蕎麦屋の具材だったものがそのまま移ってきただけ。
境界がゆるいからこそ、街中華は中華料理のようで、実はまったく別の「生活の食堂」として根付いていったというわけです。



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