長崎県にある「長崎オランダ村」と「ハウステンボス」。名前も見た目もよく似ていますが、実はまったく別の成り立ちを持った施設です。
その違いを正確に説明できる人は、意外と多くないかもしれません。
この記事ではそれぞれが生まれた背景や成り立ち、歩みをたどりながら「結局どう違うの?」という素朴な疑問に丁寧に答えていきます。
またそもそもなぜ長崎に「オランダ的なもの」が作られたのかという立地の理由や、地域の事情にも触れていきます。
旅行のプランを立てるときに役立つのはもちろん、似ているようで実はまったく違う2つの施設を比べてみることで、長崎という土地への理解も自然と深まるはずです。
オランダ村とハウステンボスってどう違うの?
地元密着でスタートした「長崎オランダ村」

長崎オランダ村は、1983年に長崎県の西彼杵半島で誕生した「オランダ風の小さなテーマパーク」です。風車や運河、チューリップ畑など異国の雰囲気を再現した園内は、当時はそれなりに注目を集めました。
ただその性質は、県外から観光客を呼び込む大型施設というより、あくまで地元向けのお出かけスポットという位置づけ。派手さよりも、素朴な景観をのんびり味わうような場所でした。
初期は一定の集客がありましたが、施設の規模は決して大きくなく、アクセスも不便な立地だったため、次第にリピーターが減少。
1990年代に入ると来園者が急減し、やがて「臨時休園」という形で営業を停止します。現在も正式な閉園はしていないものの、施設は長らく動きがなく、実質的には休眠状態となっています。
夢の国を目指した「バブル期のハウステンボス」

ハウステンボスは1992年、バブル期の追い風を受けて長崎県佐世保市に開園しました。事業費は約2,200億円とされ、本格的に再現されたヨーロッパの街並みや運河のスケール感が注目を集めます。
園内にはホテルや美術館、ショー施設やマリーナまで整備され、「暮らせるテーマパーク」という当時としては斬新な構想を掲げていました。
しかし地方都市にしてはやや高額な料金設定や、アクセスの悪さなどがネックとなり、開園当初から経営は苦戦。徐々に集客が伸び悩むようになります。
経営母体はその後も何度か変わりながらリニューアルを繰り返し、現在も営業は続いていますが、当初描いた未来像とは少し違う道を歩んでいるのかもしれません。
一緒の会社になったことで広まった「同じもの感」



長崎オランダ村とハウステンボスは、もともと別々の会社によって運営されていた「全くの別施設」でした。
ところが1990年代後半、ハウステンボスの経営再建が進められる中で、長崎オランダ村の運営が一時的にハウステンボス側へと移管されます。
このタイミングから、外から見た人たちには「長崎オランダ村はハウステンボスの一部」という印象が強まりはじめたのかもしれません。
実際には立地も規模も目的も異なっていたのですが、共通するオランダ風の外観やテーマのせいで、ふたつの違いは曖昧になっていきます。
その後、再び別々の運営に戻ったものの、一度ついた「同じもの感」は根強く残り、今でも多くの人が両者を混同しているのが現状です。
なぜ長崎に「オランダ」ができたの?
軍港の街佐世保は観光の強みが少なかった

さて、ここからは主にハウステンボスの話になります。ハウステンボスがあるのは長崎県の佐世保市。ここは昔から軍港として発展してきた街で、造船や防衛の拠点という性格が強く残っています。
もともと軍港に適していた場所だけあって、市内には広い平地が少なく、商業施設や観光エリアを広げにくいという地形的なハンデもありました。
そのため観光の目玉になるようなスポットが少なく、街の印象としても正直言って無骨。そこで1980年代後半、市として「何か強い存在感を持つ観光施設を作ろう!」と動き出します。
軍港というイメージを少しでもやわらげるには、明るくて非日常を感じられる空間が必要だと考えたわけです。その結果、ヨーロッパ風の街並みを再現するというテーマが生まれることになります。
土地の広さと港の事情が決め手になった

ハウステンボスが建てられたのは、佐世保市の市街地から少し離れた沿岸部。周辺には住宅や既存の施設がほとんどなく、広い埋め立て地を確保できたことが大きな決め手になります。
また波が穏やかな内湾(大村湾)に面しているため、船を活かした観光構想とも相性が良いと見なされていました。
当時の計画では、海や空を活用して広域から人を呼び込めるような、国際的な観光都市を目指していたようです。
ただし実際には長崎空港や博多からのアクセスは中途半端で、交通面に不安が残る立地でもありました。それでもバブル期というのは、そういった弱点さえも前向きに捉えていた時代。
多少の不便よりも、夢を大きく描くことのほうが優先されていたのかもしれません。
大村湾ってどんな海?汚れやすさの背景とは

ハウステンボスが面している大村湾は外海とつながる出入口が狭く、水が淀みやすい内湾です。そのためプランクトンがたまりやすく、海の透明度や魚の味に影響することも。
湾の構造や海の性質については、こちらの記事で詳しく解説しています。
長崎市とは違う観光ニーズを満たそうとした

長崎市にはグラバー園や大浦天主堂、出島跡など、歴史や文化を感じられる観光地が多くあります。訪れる人も修学旅行生や平和学習、歴史ファンなどが中心で、落ち着いた雰囲気の観光が主流でした。
その一方で、もっと気軽に楽しめる「エンタメ寄り」の施設を求める声も地域にはありました。佐世保がハウステンボスのような大規模テーマパークを構想したのは、まさにその声に応えた動きです。
歴史や学びではなく、非日常を味わえる場所。家族やカップルが休日をゆっくり過ごせる空間。そうした新しい需要を取り込もうとする試みでした。
長崎市とは異なるタイプの観光を目指していた点は、企画の段階から明確に打ち出されており、それが「リゾート路線」への大きな方向づけになっていきます。
長崎の「オランダ」が苦戦してるワケ
やっぱり「レプリカ観光」には限界がある

ハウステンボスは完成度の高さが話題を呼び、「日本にいながらヨーロッパ気分を味わえる!」と、非日常の空間として注目されました。
ただし長期的には、「本物ではない」という点が集客の壁になっていきます。
歴史的な背景や地元ならではの体験が少ないぶん、「一度見れば満足」と感じる人が多く、リピーターを増やすのが難しかったのかもしれません。
さらに建物の美しさに頼る観光は、SNS時代に入ると「写真を撮ったらそれで終わり」という消費のされ方になりがち。イベントや体験要素がなければ、再訪の動機づけが弱くなってしまいます。
外観のインパクトに頼るだけでは安定した集客にはつながらず、観光施設としての限界が見えやすくなる側面もありました。
九州旅行での立ち位置が難しい(端っこハンデ)

九州を観光する場合、多くの旅行者は「福岡を起点にして」複数の都市を巡るスタイルを取りがちです。
その中で佐世保にあるハウステンボスは、地理的に「端っこ」にあたるため、旅のルートに組み込みづらいという弱点があります。
同じく「端っこ」に位置する長崎市は西九州新幹線を利用できたり、有明海を船で渡って熊本方面へ抜けられるので動線に余裕がありますが、佐世保市は完全に「どん詰まり」。
しかも「せっかく九州に来たのに、オランダ的なものを見て帰っただけだった…」という声もあり、旅の満足度があとから下がってしまう例も見られます。
つまり移動時間が長い割に「九州らしさ」に触れる機会が少ない、ハウステンボスという目的地の立ち位置が、旅行全体の流れと噛み合いづらかった面も否めません。
外国人観光客を呼び込みにくい弱さがあった

近年、外国人観光客は全国の観光地にとって重要な存在になっていますが、ハウステンボスはその流れにあまり乗れていない印象があります。とくに大きな要因は「日本らしさがない」という点です。
外国人旅行者が日本に求めるのは神社やお寺、温泉、和食といった文化的な体験が中心。オランダ的な街並みをわざわざ日本で見る理由は無く、見たければオランダに行くだけです。
そんな意味では、日本人が海外で「なんちゃって和食」や「サムライ外国人」を目にしたときのような感覚に近いのかもしれません。
実際に長崎県内を旅していると「外国人観光客の姿がかなり少ない」と感じる場面も多く、観光地としての国際的な広がりにはやや乏しさが残ります。
そうした部分が、訪日客を惹きつけにくい背景として現れているようです。
まとめ:レプリカ観光から見えること
オランダ村やハウステンボスの歩みを振り返ると、レプリカ観光の難しさが見えてきます。
たとえ完成度が高くても「一度行けば満足」という性質や、地域との結びつきの弱さは、継続的な集客を難しくさせます。
一方で「東京ドイツ村」のように都市圏から車で日帰りできる距離にあり、イルミネーションなど季節イベントで集客の柱を持っている施設は、ある程度の持続性を確保できているようです。
こうした違いは、アクセスや近隣人口といった地理的条件が大きく影響しています。観光地として長く愛されるには、話題性だけでなく「地域性」や「通いやすさ」といった現実的な要素が欠かせない。
見た目だけでは補えない価値をどう育てるか。それが今後の観光地に求められる視点なのかもしれません。

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