メリーゴーランドって、よく考えるとちょっと不思議な存在です。
馬が回ってるだけの遊具なのに妙にリアルで、どこか意味ありげ。見慣れた風景なのに、「これってそもそも何のために作られたんだろう?」と引っかかったことはありませんか?
この記事ではその素朴な疑問を出発点に、メリーゴーランドの「本当の出発点」をたどっていきます。
ネットでよく語られるある説にもしっかり向き合いながら、ちょっと意外な角度から「もしかしてこういうものだったのでは?」という仮説もご紹介。
読み終わるころには、あの回転遊具の見え方が少し変わっているかもしれません。
メリーゴーランドは元々何のために作られた?
「騎兵の訓練だった」って本当?
メリーゴーランドの起源としてよく語られるのが「騎兵の訓練器具だった」という説です。
中世ヨーロッパの戦争では馬に乗って槍を使う技術が重要とされており、その練習のために木馬を回転させて乗る訓練が行われていた…といった話が、雑学本やネット記事で紹介されることがあります。
一見もっともらしく聞こえますが、この説はあくまで「後付け」の俗説に近いものです。
確かに馬に乗る訓練は古くから行われていましたが、それが現代のような「音楽に合わせて優雅に回る遊具」へと直接つながる証拠は乏しいのが実情です。
歴史的資料にも「訓練器具として発展した」と明記されたものは少なく、どちらかといえば貴族や王族の子どもの遊びとして作られた「見せるための遊具」が始まりだったという見方が主流です。
木馬で練習してた?構造と動きの話

「騎兵の訓練用だった」と語られるメリーゴーランドの起源説では、回転する木馬にまたがって槍や剣の扱いを練習していたという話がよくセットで語られます。
確かに古いメリーゴーランドの一部には実際に「外向き」に馬が設置されており、回転しながら標的を突くような仕掛けがあったものも存在します。
しかし実際の構造を見ると、ゆるやかに回る円形の台座に木馬が並べられているだけで疾走感もなければ危険も少ない作りです。
こうした構造では「実戦的な訓練」としては非効率で、むしろ「遊戯」としての意味合いが強かったと考える方が自然でしょう。
訓練と呼ぶにはあまりに緩く再現性も乏しい仕組み。つまりこれは「見た目だけを模したごっこ遊び」的な要素が強く、構造から見ても実戦用途とは言い難いのです。
他にもある?昔の回転遊具のルーツ

メリーゴーランドのように「回転する仕掛けの遊具」は、実は世界各地に古くから存在していました。
たとえば中東や中央アジアには子どもたちが棒を持って座席を回す簡易的な遊具があり、祭りや縁日で用いられていた記録も残っています。
こうした遊具は訓練目的というより、純粋に楽しむためのものとして発展していったと考えられています。
またヨーロッパの貴族の間では、子どもの教育や儀礼の一環として「儀式的な馬遊び」が行われていたケースもあります。
これらのルーツを見ても「騎兵訓練」という説よりは、遊戯性や見世物としての性格の方が色濃く残っていることがわかります。
回転遊具は誰かに「見せる」ための演出や子どもを「飾る」ための舞台として使われていた可能性が高く、それが後のメリーゴーランドへと形を変えていったのでしょう。
軍事訓練だった説にはムリがある?
実戦とはかけ離れた「ゆるさ」がある
仮にメリーゴーランドが「騎兵の訓練用だった」としても、その内容には明らかに無理があります。
というのも実戦における馬上戦は速度、衝突、反射神経、緊張感すべてが命に関わる要素ですが、メリーゴーランドは基本的にゆるやかに回るだけ。
スピードは制御され揺れも少なく、危険性は限りなくゼロに近い。これで戦場を想定した訓練ができるとは到底思えません。
また馬に乗る姿勢や体重移動の練習にはなるとしても、攻撃や回避の要素がまったく含まれないため実用性には乏しいのが正直なところです。
つまり見た目が「馬に乗ってる風」なだけで実際は戦闘訓練の要素がほぼない。この「見た目だけ」の構造こそが、訓練用説が疑わしい最大の根拠です。
流鏑馬や相馬野馬追とは何が違う?

本物の騎馬訓練を想像するなら、日本の「流鏑馬」や福島県で行われる「相馬野馬追」のような行事を思い浮かべると分かりやすいでしょう。
これらは走る馬の上で弓を射ったり、甲冑を着た騎士たちがぶつかり合うような「実戦さながら」の演武を伴います。一方でメリーゴーランドはどうかというと、馬はその場で回っているだけ。
騎手は固定された木馬にただ乗っているだけで、標的を狙うわけでも走る馬を制御するわけでもありません。この違いは明白です。身体の使い方も反射神経もまったく必要とせず、緊張感も皆無。
回転の中で何かを鍛えるにはあまりに受動的すぎる仕組みです。見た目が似ているからといって訓練用と結びつけるには無理があり、むしろ「安全で穏やかな乗り物」と見る方が自然ではないでしょうか。
「陽気に回る」って名前が平和すぎる

「メリーゴーランド(merry-go-round)」という名称そのものが、軍事訓練説と矛盾していることも見逃せません。“merry”は「陽気な・楽しい」を意味し、“go-round”は「ぐるぐる回るもの」。
つまり最初から「陽気に回る遊び」として名付けられていたことがわかります。もし本当に訓練目的で作られたものであれば、名称にもそれを示す硬派な意味が込められるはずです。
たとえば“horse-training device”や“military carousel”のような表現になるはずで、「楽しく回る」などというネーミングにはならないでしょう。
つまり言葉の面から見ても、メリーゴーランドは「戦いの準備」ではなく「楽しむこと」が主目的であった可能性が高い。名前自体がその本質を物語っています。
本当の用途は「願いを込めた遊具」?
乗馬ごっこで「強くなれ」と伝えた?
メリーゴーランドにまたがる子どもの姿は、まるで「騎士ごっこ」をしているようにも見えます。
実際に騎士や軍人が子どもの憧れの存在だった時代、親が子に「強く立派に育ってほしい」と願う気持ちを込めてこうした「乗馬遊具」を与えることは自然な文化だったかもしれません。
日本で言えば五月人形に甲冑や弓矢を模した飾りを用意するのと似た構造です。つまりメリーゴーランドも単なる遊びではなく「象徴的な教育装置」だった可能性があるということです。
遊びを通じて勇敢さや男らしさを身につけさせる。
その願いが木馬に託され、回転しながら多くの子どもたちの「初めての乗馬体験」を演出してきたとすれば、それは訓練ではなく文化的な継承だったと言えるでしょう。
なぜ回転?見せるための演出だった?

メリーゴーランドが「回転式」である理由も、訓練目的ではなく「見せるため」の要素が強いと考えられます。
実際に初期のメリーゴーランドは移動式の見世物だったとも言われ、貴族の子どもが馬に乗ってくるくると回る様子は、まさに人前で披露するための「演出」でした。
屋外の祝祭や広場に設置され、人々の注目を集める装置だったという説もあり、その目的は実用性よりも「楽しさ」「見栄えのよさ」。
また馬以外にも船や鳥が取り付けられたモデルが早くから存在しており、リアルな訓練というより「物語の中の世界」を再現するような構成が目立ちます。
つまり回転=動的なステージであり、子どもが「勇敢な存在になる姿」を見せるための舞台装置だったという解釈の方が構造や使われ方にもマッチするのです。
五月人形と同じ役割だった可能性も

「子どもを強く育てたい」という願いを形にする文化は、世界各地に存在します。日本では端午の節句に五月人形を飾り、甲冑姿の武者を通して「健やかな成長」を祈ります。
欧州にも同様の発想があったとすれば、メリーゴーランドはその「動くバージョン」だった可能性があります。「馬に乗る=戦える男になる」という象徴的な演出を、遊びとして形にしたもの。
見た目の勇ましさと回転の楽しさが合わさった構造は、まさに「憧れと願い」の融合です。
実際に現代のメリーゴーランドも馬だけでなく王子や騎士のような装飾を施したものが多く、そこに「なってみたい」という子どもの夢が反映されています。
つまりメリーゴーランドの本質は訓練ではなく祈りと夢の「象徴的な乗り物」だったのではないでしょうか。
まとめ

メリーゴーランドの起源には、さまざまな説が語られてきました。
中でも「騎兵の訓練」という話は一見もっともらしく思えますが、構造や名称、実際の使用状況を冷静に見れば、その信憑性には疑問が残ります。
むしろ子どもを強くたくましく育てたいという願いを込めた文化的な遊具 ─ つまり「動く五月人形」としての役割のほうがはるかに自然で説得力があります。
可愛らしく彩られた木馬の裏には静かな願いや時代の価値観が詰まっているのかもしれません。見慣れた遊具にちょっと違った背景を感じながら乗ってみると、またひとつ「沼」の世界が広がるはずです。
編集後記

ある日、ふとしたきっかけで「メリーゴーランドって何のために作られたんだろう?」と気になってしまい、軽くGoogleで調べてみることにしました。
すると出てくるのは「もともとは騎兵の訓練用で、それが子ども向けの遊具に転用された」という説。なるほど〜!と納得しかけましたが…、よく考えてみたら ─ ちょっと無理があるんじゃないかと。
あんなメリーゴーランドみたいなもので訓練された騎兵なんて、戦場じゃ確実に最弱じゃないですか。騎兵ってそもそも馬に乗ったまま銃を撃ったり刀を振ったりして戦う特殊で高度な兵科。
たとえば日露戦争では、後に「日本騎兵の父」と呼ばれる秋山好古が率いた騎兵部隊が近代戦の中で実戦投入され、大きな成果を挙げました。
秋山はフランスで本格的な騎兵戦術を学び、日本に戻ってから長年にわたり地道な訓練と編成を重ね、苦労の末に騎兵部隊を戦場で通用するレベルにまで育て上げています。
騎兵は馬を自在に操る技術だけでなく射撃や隊列行動、戦場での判断力など、あらゆる面で高度な訓練が求められます。
馬に乗る技術だけでも相当なのに、そこからさらに武器を扱う訓練まで加わる。そんな繊細な戦闘スキルを「陽気に回ってる木馬」で身につけられるはずがありません。
結論として、どう考えても「騎兵の訓練用」という定説は成り立たないんじゃないか ─ そう思って今回は思い切ってその説にツッコミを入れてみました。
もちろんこれは私なりの解釈であり、明確なエビデンスがあるわけではありません。
でも情報に違和感を持ったときに、そこをちゃんと掘り下げてみると「意外と納得できる別の仮説」が見えてくる。そういう楽しさが、この記事に少しでも出ていたら嬉しいです。
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