昔はどこの学校にも当たり前のように立っていた「二宮金次郎」。ですが…、最近すっかりレアキャラです。子どもの頃は普通にあったのに、なぜか最近パッタリ見かけない。
撤去されてしまったのか、それとも何か別の事情なのか — ふと気になったことはありませんか?
この記事では「金次郎が減った理由」や「どんな人だったのか」、そして現代では「違和感の対象」とされてしまう流れまで、順に説明していきます。
姿を消しつつある、かつて「学校教育の象徴」だった金次郎。当時と今の感覚を比べながら、その真相に追ってみたいと思います。
二宮金次郎像を見かけなくなった理由

最近、確かに二宮金次郎像を設置する学校は減りました。その理由は「安全への配慮」や「教育方針の変化」、もちろん「維持コストの問題」などもあるでしょう。
かつては当たり前のように立っていましたが…、あれは決まりではなく「文化」のようなもの。2,000年代に入り設備基準が厳しくなると、硬くて重い像は事故の心配から見直されることになってきます。
風雨で土台が緩んだり、地震で倒れる可能性が指摘され、老朽化した像は補修より撤去が選ばれやすくなりました。
古い学校では今も残っているケースもありますが、新しく建て替えられた学校などは「そもそも設置しない」のが一般的。
また最近は「教育を象徴化する」ことより、「多様な価値観」を大事にする時代です。「今の時代には色々合わない」というのが、二宮金次郎像が姿を消した理由でしょう。
二宮金次郎とはどんな人物だったのか

金次郎は子どもの頃の呼び名で、「二宮尊徳(そんとく)」が本当の名前、実在の人物です。
江戸時代、神奈川県小田原市の「足柄」という場所で生まれました。足柄といえば「金太郎」が有名なので「弟?」と勘違いしがちですが…、何の関係もありません。
金次郎は農家の生まれで、幼い頃は生活が厳しく、薪を背負いながら本を読んだ逸話が「あの像の姿」になっています。

彼は大人になると、荒れた農村を立て直す仕事を次々と成功させ、経営コンサル的な活動をしたようです。その実力は各地に知れ渡り、藩に招かれるほどでした。
ただ、こういう「数字にシビアな人」は反感も持たれやすい。
石田三成、田沼意次、大久保利通あたりと同じタイプな気がしますが…、武士や政治家ではなかったことで権力争いに巻き込まれず、功績だけが素直に評価されやすかったのかもしれません。
なぜ現代では「違和感の対象」なのか

たとえば、本を読みながら学校の廊下を歩いていたら、先生に注意されるでしょう。
でもその学校に二宮金次郎像があったら…、私だったら先生にこう反論します ─ だって金次郎だって本読みながら歩いてるじゃないですかって。
「ながら歩き」は、現代ではNG行為として扱われ、「歩きながらスマホ」は条例で禁止されるケースがあるほどです。
昔は「勤勉こそ美徳」と語られ、無理のある姿でも「努力の象徴」として受け止められました。つまり「努力」の方が「安全」よりも重要だったわけです。
でも最近はそれが入れ替り、「安全」は全てにおいて優先されます。特に子供たちが学ぶ「学校という環境」なら、なおさらです。
そして私たちは、二宮金次郎像を知りつつも、「安全」が優先な時代を生きている。それが、今この瞬間に金次郎が「違和感の対象」になってしまう理由です。






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