海上自衛隊の艦艇が掲げる旭日旗。テレビやニュースでその姿を見て「これって戦時中の海軍の旗と同じじゃないの?」と感じた人も多いはず。
実際、デザインは旧日本海軍が使っていた軍艦旗とほぼ同じ。それなのに、なぜ今も掲げられているのか ―。
この記事ではそんな素朴な疑問を持つ一般の読者に向けて、旭日旗が戦後一度姿を消し、再び「自衛艦旗」として戻ってきた理由をわかりやすく解説します。
この記事を読むことで、自衛艦旗(旭日旗)が海上自衛隊にとってどんな意味を持つ旗なのか、その背景を冷静に理解できるようになるはずです。
海上自衛隊の旗は旧海軍と同じなのか?



海上自衛隊の艦船に掲げられている旗は、「自衛艦旗」と呼ばれるもの。白地の真ん中に赤い太陽があり、そこから16本の光が放射状に広がるデザインです。
これはかつて旧日本軍が使っていた「軍旗」と同じデザインで、「旭日旗」と呼ばれる旗。戦後に「旗の名称」こそ変わったものの、「デザインはそのまま」ということになります。
この模様は「日の出」を表す縁起の良いデザインとして、日本では昔から「武家の家紋」などにも使われてきました。
一方、陸上自衛隊は光の数や配置をチョロっと変えた独自の旗を作り、旧陸軍とは「別の旗である!」とアピールしているようにも見えます。
陸は断ち切り、海はつないだ。
つまり「海上自衛隊の旗は旧海軍と同じ」と知った上で、「ではなぜ?」について考えてみる必要があります。
海上自衛隊が現在も旭日旗を使う理由

実は自衛隊が創設されるにあたり、陸と海ではまったく違う事情がありました。
敗戦によって旧日本軍は解体され、その後「警察予備隊」などを経て1954年に「自衛隊」が誕生したことは学校でも習った通り。ですが…、これはどちらかというと「陸の話」。
実際、旧陸軍は解体から5年後の1950年に「警察予備隊」が結成され、これが現在の陸上自衛隊の基になっています。つまり敗戦から5年間は、日本には「陸軍的なもの」は存在しなかったということ。
一方、旧海軍も敗戦によって「形式上は解体」されましたが、陸軍と違い、訳あって敗戦後もずっと活動を続けていました。
この間「旭日旗は使用していない」のですが、旧海軍軍人が敗戦後も活動を続け、そして1954年に海上自衛隊になった。5年のブランクがある陸自と、ブランクがない海自。
これが「海上自衛隊が現在も旭日旗を使う理由」に関係しています。
旧海軍軍人が戦後も活動を続けた理由

敗戦によって旧海軍は解体されたものの、「海の仕事」が終わったわけではありませんでした。それは終戦時、日本近海には約7万個もの機雷が敷かれていて、船がまともに動かせない状態だったから。
しかもその多くは、連合国軍が終戦直前に設置したもの。でも今度は占領軍として、自分たちが日本の港を使う側になってしまった。
まずはこの機雷を片づけないと、自分で敷いた機雷を踏んでしまうことにもなりかねない。でもそんな危険な仕事、絶対にやりたくない。
そこで白羽の矢が立ったのが、旧日本海軍のベテランたちでした。操艦技術、地形の知識、掃海ノウハウ ─ すべてを持つ彼らに任せるしかなかったというのが実情です。
こうして彼らは「第二復員省」から「復員庁」「保安庁」などへ組織を変えながら、戦後の海で活躍を続けました。
自衛艦旗として旭日旗が戻ってきた理由

1954年、防衛庁(現在の防衛省)の発足と同時に海上自衛隊が誕生しました。その際に旧日本軍の「軍旗」、旧日本海軍の「軍艦旗」と同じ旭日デザインが「自衛艦旗」として再び採用されます。
デザインは戦前と同一ですが、名称は「軍艦旗」から「自衛艦旗」に変更され、法的には「自衛隊法施行令第115条」で定められました。
海上自衛隊が旭日旗を採用した理由は、旧海軍軍人だった彼らが戦後も掃海や訓練に携わり、その組織づくりに深く関わったことが影響していると考えられます。
また戦後社会では、旧陸軍に比べて旧海軍への反発が比較的少なかったことも、この旭日旗の採用が受け入れられやすかったとも言われます。
一方で、陸上自衛隊は旧陸軍の旗をそのまま使うことはせず、「チョロっと変えたデザイン」を採用。結果として陸は過去との距離を置き、海は伝統を引き継ぐ形になった。
これが、海上自衛隊が旭日旗を掲げる意味と理由です。

  
  
  
  

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